ヒロシマのあの夏
今朝の新聞に、エノラ・ゲイ乗組員3人が共同声明を出した、と載っていた。
「歴史のあの瞬間、原爆は確かに必要だった。我々は後悔していない」と。
昨夜テレビで「戦後60年記念番組」を観た。
3時間のうち、ラスト1時間ほどしか見られず残念たったけれど
改めて原爆の恐ろしさと惨さを感じた。
生き延びた体験者は、皆ご高齢。
彼らが去った後は、誰が語りべになるのだろう?
1番印象的だったのは、原爆を開発・投下・撮影した、ただひとりの人、
アグニュー博士が60年ぶりに来日、広島を訪れ、被爆者と対談したことだ。
現存する原爆の写真は、全て博士が撮影したものだという。
「あれは命がけだった。(親指と人差し指で丸を作り)こんな小さな窓しかなく、そこから映したんだ。大変だったよ」
事前のインタビューで、博士のことを聞き、「きのこ雲を撮影していたと聞いて悔しかった。責めるということではなく、本当に投下してよかったと思ってるのかを聞いてみたい」と語っていた。
当日、ふたりが鋭い質問をぶつけた。
「きのこ雲の下で、私たちが地獄の目に遭っていたことを想像してましたか?」「原爆を作っている最中、これを投下してはいけない、とは思わなかったのですか?」
博士は、
「たった1発で簡単だったから。何日も空爆せずに済んだ。
空爆していたらお互いもっと被害者が出たはずだ」
「私を批判するのではなく、日本軍を批判すべきだ」
「申し訳ないとは思っていない」
「パールハーバーが決定的だった」と答えた。
そして
「戦争に”罪なき人”はいない。戦時中は全ての人が関わっていた。全ての人に罪があるのだ」と。
原爆慰霊碑で燃えている”炎”の意味である、「核兵器が無くなった時この炎は消える」を聞くと、苦笑いを浮かべ、残念だがありえない、と言わんばかりに
「その前にガス欠になるよ」
「世界中にはたくさんの核兵器がある」
「誰かが絶対ズルをする。それにブッシュ政権ではだめだ」とつぶやいた。
番組は最後に筑紫哲也の「過去は変えられない。相手を責めるより、過去の過ちを教訓とし、今後どうするかが大事なのだと思います」というような言葉で結ばれていたが、全くその通りだと思った。
あの時のアグニュー博士の立場と環境では誰もが同じ事をしたかもしれないし、責められもしないのかもしれない。
無理だとしても、人間として核廃絶を訴えていかなければならないし、
被爆国日本の役目と責任だと思う。
〜*〜
「アメリカ軍の本土上陸が回避され、多くの人命が救われた」
「戦争終結を早めた」
・・・これらが原爆投下を正当化する多くのアメリカ人の考え方。
AP通信が今年3月に実施した原爆投下の是非についての世論調査では、
47%が肯定で、46%が否定。ほぼ半々。
世代別では65歳以上の6割が肯定、18〜29歳の6割は否定した。
89年の調査では全体の6割が肯定だった。
うれしい事に、若い世代を中心に少しずつ変化していってるのがわかる。
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何故、広島と長崎に落とされたのか?
小倉には、戦車や大砲を作っていた軍事工場があったし、風船爆弾も作っていた。
(千葉か茨城あたりからジェット気流で流し、アメリカに落としていた)
しかし、天候が悪く候補から外れた。
当時中学1年だった父は川の土手で偵察機を1機見た。
そのあと空襲警報が鳴ったかと思うと、いつもと違ってものすごく大きな音で飛ぶB29が、上空を旋回していたがどこかへ飛んで行ったのを目撃している。
戦後、大人になって「文芸春秋」で、小倉から長崎に投下変更されたことを初めて知り、愕然としたという。
”アメリカからの原爆の真実”というスクープだった。
余談だが、広島と長崎が候補に挙げられたのは、宗教が熱心な都市だからとだとも言われている。
広島は浄土真宗(親鸞)の安芸門徒が多い都市。
長崎は昔から”隠れキリシタン”で有名な都市。
浄土真宗は仏教には珍しく「誰でも死んだら極楽に行く」という来世信仰。
浄土真宗とキリスト教、このふたつは似ていた。
アメリカ側は、宗教心の篤い人間は、原爆を落とされても「(宗教心から)そのうち忘れるだろう」「相手を許すだろう」という予想があったからだ、という予想をしていた。
しかし、今になってそれがアメリカの大きな誤算だったといわれている。
今でも1番声高に、世界中に平和をアピールして原爆投下の事実を示し、アメリカにも核の放棄を訴えているのだから。
今、1番熱心に平和運動や核廃絶運動を展開しているのが広島と長崎なのである。
今朝もいつも通り暑かった。
60年前の原爆が落とされた時間も広島ではさぞ熱かったことだろう・・・
真夏で暑い上に、原爆でも焼かれたのだから・・・・